NARITA AIRPORT TERMINAL1
















写真の詳細



タイに行ってから1ヶ月と経たぬ間にラスベガスに行くことになった。
これには色々な訳があるのだが、ここで説明するのは趣旨に反すると思われるので割愛することとする。
出発日が決まったのはおよそ2週間前のこと、連日連夜インターネットにて格安ツアーを探していたところ、
前日にはなかったものが翌日朝にはあったので、即行で空席状況を電話にて確認。
本来ならネットでするものらしいが、電話のほうが手っ取り早く空席状況を照会してくれ予約まで出来てしまうので、
こういう火急の場合にはリアルタイムで電話をするに越したことはない。
偶然にも空席があるというので、すぐさま予約を入れ仮手続きがものの数分で終了。

その日以来相変わらず眠れぬ日々が続いた。それに加え発作も激しく旅行代理店への手続きすらままならなかったが、
それでも何とか無事に出発日を迎えることが出来たのだが、単身で海外に行くというのは非常に心細いものがある。

話は前後するが、ツインの部屋を一人で宿泊するには余分にお金を払わなければならない。
そこで、わずかな友人を方っ端から誘ってみたものの、
やはり場所が場所であるだけに、暇があっても大金をそう簡単にはたいてくれるはずもない。
いくら友人とはいえ金銭的な問題が生じるのは、こちらとしても具合が悪い。
金の切れ目は縁の切れ目、とはよくいったものだ。
ましてや行った先で何かトラブルがあったのでは、こちらとしても責任が取れないので、無理に誘うわけにもいかない。
やむなく多少のコストがかかろうとも一人で行くことにしたのだ。
一人で行く分、あらゆる面で自由になれるだろうし、全て一人でするということにも意義があるという利点もあるわけで。

何はともあれ出発日を迎えることとなった。
午後の出発ということで余裕を持って成田空港へ向かうことができた。
旅行代理店の話では座席指定ができるとのことで、早めに行き窓際をとろうと思ったが、既に満席とのことで通路側になってしまった。
またその場で燃油サーチャージ料はおよそ1万6千円とふざけた額を請求された。
既に空港使用料は手続きの際に巻き上げられている。往路はシアトル、復路はロサンジェルスにてトランジット。
恐らくトランジットする空港での空港使用料も含まれているのだろう。
これならば多少高くてもラスベガス直行便の方が良かったかもしれないと少し後悔。
確かに色んな空港が見れるのは楽しみの一つでもあるが、空港使用料もだが、トランジットの待ち時間が馬鹿馬鹿しい。
もちろんこれらはツアーの代金に含まれていないので、格安ツアーとはいえ予想以上に出費がかさんでしまった。
何となく日本を離れるのが心細かった。搭乗までの時間は友達に電話なんかしたりして、そしていつしか搭乗時間を迎えた。

指定座席に着くやいなや、台湾風の男性が英語で「席を替わって欲しい」といってきた。
どうやらその男性だけ家族とはなれた席になってしまったらしいのだ。
僕は離陸する瞬間がたまらなく好きだ。窓から外の景色が見れたら尚更のこと。
あの両翼を備えた巨大な鉄の塊が空に飛んでいこうとするその瞬間がたまらないのだ。
いずれにしても、通路側に座っているので窓に頭を押し合えてて離陸の瞬間を見ることも出来ない。
そこでその男性に座帰を譲ることにし、最後尾の中列は通路側の座席に座ることになった。
最後尾ならリクライニングを気負うことなくすることができるので、こちらとしても利点がある。

シートベルトを締め滑走路に向かう瞬間程興奮するものはない。
飛行場にも渋滞があるもので、離陸順位が決まっているらしく、その時までしばらく徐行。
ようやく滑走路につき、エンジンが轟音を立てて振動が身体中に痺れるように伝わってくる。
激しい重力が身体にのしかかってくるが、この圧力こそ普段味わえない快感。
離陸したかと思うと東京の小雨の降る雲を突き抜け、あっという間に空の上の晴れ間にいるというのだからすごいものだ。

タイからの復路には、各シートの後部に画面がついていたと記したが、
今回の飛行機にもそれが備え付けられていた。長時間のフライトとなるのでこれは便利だ。
隣の40前後の男性がやたらと話し掛けてくるが、英語だったので確信をもってこう言っていたとはいえないが、、
どうも貿易関係で中国にしばらく滞在していたらしく、成田空港にてトランジットし、久々に実家のシアトルに帰る途中らしい。
機内食は二つに一つを選ぶようになっているのだが、彼は大食いでフライトアテンダントに両方頼んだのだから驚いてしまった。
両方もらった彼はガッツポーズをして見せ、子供のように無邪気にははしゃいでみせたとき、
昨年の夏、うちにホームステイした1歳年下のアメリカ人を思い出さずにはいられなかった。
僕はどうもこういった稚拙なところが好きにはなれない。稚拙な僕が稚拙な人間を嫌うというのだから滑稽かもしれないが。
あるいは彼はやたらと干渉してくるのだ。日本人が初対面の人には余りしないような会話をしてくるのだ。
日本人といえば当り障りのない無難な干渉のない会話をしてくるものだが、それとは至って対照的だ。
余りにウンザリしてしまったので機内食を食べ終えると、そそくさとヘッドフォンをし映画を観ることに。
もちろん英語でしゃべることが難儀で、少なからず面倒くさくなったという理由もあるが。







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