SEATTLE-TACOMA INTERNATIONAL AIRPORT/McCARRAN INTERNATIONAL AIRPORT(LAS)
STRATOSPHERE TOWER/FREMONT STREET EXPERIENCE (DOWN TOWN)







































ストラトスフィアタワー

フリーモントエクスペリエンス





写真の詳細



飛行機内にて映画を一本観たが大して面白いものでもなく、他の映画も予告だけ観て寝ることにした。
気付けば夜が明けていて朝食を。およそ10時間のフライトの後、着陸態勢に。
離陸の時に比べると着陸はそれほど興奮するものがない。むしろ、着いた喜びよりも飛行機から降りる寂しさがわく程だ。

何はともあれ無事にシアトル・タコマ空港へ到着。
ここで入国手続きと審査を行い、預けた荷物を受け取り、更に再び預けなければならない。
これはトランジットの際に空港会社が異なる為にする作業であって、同空港会社であればこの作業の必要はない。
それにしても同時多発テロ以降からか、入国審査が厳しくなっているという。
現にサイパンに行った時など、帰りの飛行機に乗るのに不愉快な思いをさせられたものだ。
それはさておき、アメリカでは入国審査では指紋の採取、及び写真撮影を義務付けられている。
それが終わると質問攻めが始まる、もちろん英語なわけで、所々しか何を言っているのか理解不能。
しかも今までの経験から入国審査員で愛想のいい人は一人としていない、もちろん今回も同様に。
故に英語がわからず、質問とは関係のない答えをする度に不機嫌そうな態度を示してくる。
とりあえず、旅行の目的と滞在先、滞在日数、その程度のことを答えたら、面倒くさくなったのか「うせろ」と言わんばかりに、
ハンコが壊れるのではないかという力強さでもって入国許可をパスポート打ち付け、顎であしらわれた。

荷物を受け取り、再び預ける際も不機嫌そうな係員の指示に否応なく従い、これも特に問題なく通過。
しかし、空港使用料を払ってまで来ているというのに、何故あそこまで嫌な思いをしなければならないのか。
あたかも人をはなから犯罪者のような疑いをもって接してくるというのが非常に腹立たしい。
そんな思いで成田空港にてもらった、国内線の乗り継ぎの案内地図を見ながらそこへ向かうと、
全くシャトルバスらしきものなど走ってなく、尋ねてみると「全然違う」といわれ、踏んだり蹴ったり。
成田空港第二ターミナルは地上を走るシャトルバスだが、
シアトル・タコマ空港のシャトルバスは地下を走る。案外スピードも速い。

電子掲示板を確認すると出発ゲートの変更があった。とりあえず、ゲートの確認をして持て余した時間は空港内を散策することに。
とはいえ、そこまで広い空港でもないみたいですぐに見終えてしまったわけで、出発ゲート付近の椅子で仮眠。
それにしてもこれまでのツアーでは日本人観光客だらけだっただが、どこにも日本人が見当たらない。
何度もチケットと出発ゲートを確認したが、間違ってもいないようだ。
それでもどうにもこうにも気になって落ち着かず眠れない。
搭乗時間が近づくにつれ係員がやってきたので尋ねると、この場所であっているというのでようやく安心して眠りに就こうかと思いきや搭乗開始。
結局、ここでは一睡もすることも出来なかったわけで、およそ4時間近くただうろたえていただけなわけで…。
機内はそこまで込み入っていない。現に隣は空席になっているし、窓際を確保することが出来た。

シアトルからラスベガスまではそれほど高度を上げないのか、地上の家や車、道などが小さいながらも見ることができる。
空港から離れてちょっとした民家を通り過ぎると、直に岩肌を剥き出しにした岩山が連なる風景にかわる。
所々に木も生えているが、それも次第になくなり砂漠になっていく。
予断だがラスベガスはスペイン語で「草原」の意を示しているそうだ。
これは翌日グランドキャニオンに行く際のバスの車窓からみえる景色を見れば納得がいく。
元々1840年代末にカリフォルニアで金が発見され、ゴールドラッシュが起ると、砂漠の中の貴重な中継地点として定住する者が現れ、
ラスベガスを含むネバダ州もその影響を受けたが、後にマフィアが賭博場としてその場を活用し始めたが、
ハワード・ヒューズによって、現在のようなクリーンな街になっているということは、後々記すとして…。
ちなみに、土佐出身の漂流民であるジョン万次郎は、ゴールドラッシュ期カリフォルニアに金を採りに来たおそらく唯一の日本人である。
ってなわけで、風景も殺伐としたものだが、これぞ自然のあるがままの姿といってもいいわけで見応えがある。

ラスベガスマッカラン国際空港に無事離陸。
滑走路から既にストリップ通りが望めるということから、繁華街まで空港からそれほどはなれていないことが判る。
日本の場合は成田空港から都心部に向かうのに余りに遠すぎて不便すぎる。
何はともあれ時差ぼけも然程なく無事に着き、ゲートを出てすぐに日本人ガイドさんが待っていた。
しかし他の日本人らしき人が全く見当たらない。それもそのはず僕一人だったのだ・・・。。
空港をガイドさんの案内でもって預けた荷物を受け取る目の前には、驚くことにスロットマシーンやその類がある。
早くも空港からラスベガスのイメージの光景が広がっているのである。
先に記しておかなければならないことがあるのだが、ラスベガスでは空港内を除いて、
賭博場での写真撮影は一切禁止されている。これは不正防止の為だと思われるが、どちらが側が不正をしているのか、ということは触れないでおこう。
日本ではパチンコやスロットなどの類があるが、人間がどんなに足掻いたところで機械にかなうはずがないと思うのが僕である。
故に競馬こそやったことはあるが、機械だのを用いたそれらをやろうと思ったことは一度もない。
友人に誘われて暇つぶしにやったことはあるが、一向に儲かる気がしないのだ。
もともと競馬にしてもそうだが、僕の性格上ギャンブルはむいていないようだ。
話を戻して…、空港を出るといきなり巨大なリムジンがお出迎え。
といっても、これに自身が乗るわけではないのだが、日本では見ることもないだろうと物珍しく写真を。
付近に駐車していた小型のバンに乗り込み、次の便で来るらしい数人の日本人観光客が乗るといざホテルへと出発。

前述のように空港からストリップ通りまで数分で到着する。
故にバスでホテルまであっという間で到着。ガイドさんの下、ホテルのチェックインを済ませ、とりあえずは荷物の整理から始める。
手荷物とドラムバックに入っているものを、それぞれ必要に応じて入れ替える作業。
それが終わりようやく一息つくことが出来た。まだ日が沈んでいなかったがベッドに横たわった。
これには理由がある。端的に述べれば現地にて面会の約束をしている方からの連絡待ちとでも言おうか。
ベッドに横たわって1分とせずに電話が鳴った。自前の携帯電話にではなく、ホテルの部屋備え付けの電話だったので戸惑った。
英語で出るべきなのか、日本語で出るべきなのか、しかしホテル備え付けの電話にかけてくる相手など決まりきっている。
日本語で出る、「もしもし・・・」。今おもえば何とも不思議な光景だが、やはり思った通りの相手だった。
ホテルまで車で迎えてきてもらい、ラスベガスの街を案内して頂けるというので躊躇なくお言葉に甘えさせてもらった。
しかし相手方も忙しい、この日のこの時間を除いては仕事で予定は一杯だということで、
極力自分が徒歩で行動するには限界のある場所に連れて行ってもらうことにした。

既に前々から候補にあげていた一つが、ストリップ通りの北方面にあるストラトスフィアタワー
ストリップ通りを車内から案内してもらいつつ、向かってもらった。
それにしてもストリップ通りという名前だけ聞くと、風俗店の並んでそうなイメージがある。
しかし、プログレッシブ英和中辞典第4版によると「strip」とは、
『((時にS-))((米))(両側にホテル・商店・レストランなどが立ち並ぶ)街路, 大通り;((the S-))Las vegasのカジノ街』、
と、ちゃんとラスベガスの名前まで記されているから驚いてしまう。
というわけで、車道両サイドには大層立派なホテルがものの見事に聳え立っていて、そのホテルもまた一風変わった建物で見ているだけで面白い。

さてさて、予定では日没前に着く予定だったのだが、色々と案内してもらったので、ついた頃には日が暮れていた。
予断になるが「STRATOSPHERE」とは、成層圏・最高段階・トップクラスなどを意味する言葉。
その名の由来からか鉄塔の最先端まで345メートルとラスベガスで最も高い建造物。
ちなみに以前赴いた東京タワーは333メートルなので、それよりも若干高め。
地上約230〜270メートル付近に造られた最上部の展望台の他、
世界一高い場所にある結婚式場 「STRATOSPHERE ウエディングチャペル」、
TOP of THE WORLD」というおよそ1時間30分かけてタワーを360度回転し、夜景を堪能しつつ食事ができるレストラン、
また、人間射出 「THE BIG SHOT」、展望デッキの外に飛び出す 「X SCREAM」、デッキの外で回る回転ブランコ 「INSANITY」 などのアトラクションもある。
ところで、とにかく同時多発テロ以来、入場には手荷物検査などを受けなければならないわけで、時間がかかることかかること。
話によればその日はまだましな方で、エレベーターに乗るのに1時間以上待たされるときもあるそうだ。
それにしても、三脚の持込が禁止と言うのは少し厳しすぎではないだろうか、夜景が手ぶれで、綺麗に撮れないじゃないか・・・。
写真はともかくとして、展望台に出た時に見たラスベガスの夜景は、これまでに見たことのない程の眩しい夜景だった。
それには、展望デッキが外にあるということ、つまり窓越しから見る夜景ではないという事がある。
しかしながら、最上部は流石に風が強く、ラスベガスとはいえ4月上旬の横殴りに吹きつける風はまだ寒いものがあった。

更にそこから車でおよそ10分ほ北上すると、ダウンタウンに着く。
ここには長さ約420メートルのアーケードがり、そこに1250万個の電球と数十台の高性能スピーカーが取り付けられ、
日没後、毎時間おきにこのアーケードで造られてた巨大スクリーンによる大迫力の無料フリーモント・エクスペリエンスショーが行われる。
ちなみにこのショーは毎時間違ったものをするということにも驚かされてしまう。
ショーが始まる瞬間にアーケード内にある、それまでギラギラとしたカジノだののネオンが一斉に消灯し、
天井のネオンが華々しく輝き始め、音楽と同時に大迫力のショーを繰り広げるのだ。
もちろんのこと、このアーケード内は24時間歩行者天国となっている。

そのショーを見終わると、気付けば夜も遅い。ラスベガスは夜の街だと言うが、翌日は早朝からグランドキャニオンへ行くことになっていたので、
滞在ホテルへと送ってもらった。しかしながら部屋に戻るのに一苦労。部屋番号を忘れてしまったのだ。
フロントにて部屋番号を訊ねると、それを紙に書いてくれたので、礼をいいその場を離れて、よくよく紙をみると何と書いてあるのか解読不能。
6なのか4なのかよく判らないのだ。思えば昔から学校でネイティブの英語教師が来た時には、
黒板のものをノートに書き写すのが大変だったものだ。あるいはレポートで修正してくれるのは良いが、これも全く解読できず・・・。
大概、ネイティブの方が書く字と言うのは解読することが難しい。
そんなわけで両手にパンやらチキンだのの3日分の食料と飲料のビニール袋を持ち、ウロウロとホテル内を彷徨う。
ホテルの鍵はカード式になっている。それをあらゆる確立と統計でもって差し込むのだが、一向に自分の部屋へと戻ることが出来ない。
途中余りにも手荷物が重いので下ろして休みつつ歩いていると、ガードマンが不審者発見と言わんばかりに近づいてきたので、
そのガードマンに紙を見せ、何番とかいてあるのかと訊ね、ようやく部屋に戻ることが出来た。戻るのに30分はかかっただろうか。
朝でた機内食以来の食事をほおばり、水圧が弱いことに苛立ちつつシャワーを浴び、即行でベッドに入り爆睡。







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