識名園/識名宮/金城橋/金城町石畳道/金城大樋川/金城村屋
金城ダム/首里駅/ゆいレール/沖縄県庁/国際通り/那覇空港駅/那覇空港/羽田空港第一旅客ターミナル































































写真の詳細



沖縄には『琉球王国のグスク及び関連遺産郡』の世界遺産登録されたものが9箇所ある。
首里城跡園比屋武御嶽石門斎場御嶽座喜味城跡玉陵中城城跡勝連城跡今帰仁城跡識名園(地図参照)
行っていない所は残すところ後一つ。これはホテルからバスでそこまで時間を要さない場所にあったので、
この日ばっかりは起床を1時間遅らせ8時に起きて、ゆっくり無料のパンをテレビを見ながら食べた。
帰りの支度はする必要もない。カプセルホテルはロッカーに全てを置く仕組みになっているので、既に荷物はカバンの中に詰めてある。
チェックアウトを取りあえずして、荷物をフロントで預かってもらい、最後の観光へと出発した。

バスを下車して程なく識名園に到着。
1733年に王家の別邸として創建され、1795年に現在の規模に拡張された。
首里城の南にあることから南苑とも呼ばれた。ちなみに首里城東にある御茶屋御殿東苑と呼んだ。
1609年以来、従来からの中国への冊封・進貢関係は存続させながらも薩摩の植民地的支配を受けていた琉球王国にとって、
中国からの冊封使の接待は王国を存続させる意味で重要な場所だった。
造園形式は、池のまわりを歩きながら景色の移り変わりを楽しむことを目的とした「廻遊式庭園」になっている。
池に浮かぶ島には、中国風あずまの六角堂や大小のアーチ橋が配され、池の周囲を琉球石灰岩で積みまわすなど、琉球独特の工夫が施されている。
写真に夢中になりすぎて、池近くの芝の傾斜をおりていた時、朝露で湿っていたためか、滑り真後ろに倒れる形になった。
カメラをかばうために両腕とも出すことをできずに後頭部直撃。快晴の沖縄に昨晩見たような満天の星空が。
余談になるが、帰宅後しばらく鞭打ち状態で首を曲げる事ができず、寝ることも困難だった。
また、今でも少し気温が低い日になると、たまに左肩から首にかけて痛みを感じる事がある。
不幸中の幸いは誰にも見られていなかったことと、池に落ちなかった事だろうか、とにかく、カメラも無事だったしよしとしよう。

その後、首理駅に行き、ホテルに戻るには早すぎたので、もう少し辺りを散策することに。
先日は日も暮れていたので中を見ることが出来なかった、金城町石畳道にある、
金城村屋に寄り道をして、そのすぐそばにある金城大樋川を見た。
かつてはここに湧く水を井戸水として利用していたそうだが、その面影もどこへやら・・・。
バスに乗ってホテルへ帰ろうとしたが、あまりにも本数が少なすぎるので安里川に沿ってモノレールの駅に向かうことにした。

安里川は那覇市首里の弁ヶ岳を源流とし、中心市街地(国際通り)を貫流し泊港に注ぐ長さ約7kmの二級河川で、
中流から河口にかけては川幅が非常にせまく、大雨のたびに川が氾濫し、毎年多くの被害を受けていた。
このような状況で、河川改修を実施しているものの、安里川の周辺には民家が密集していて、川幅を広げる工事を行うことは困難な状況だった。
このようなことから、安里川の洪水氾濫を防止する抜本的対策として上流にダムを建設して 洪水調整を行うとともに、
流水の正常な機能の維持を図る目的で平成元年度より工事着手し平成 12年度に完成したのが金城ダム
堤体には琉球石灰岩を張り付けられている。台風の多い沖縄で必要不可欠なダムの一つといえる。

首理駅へと向かい、それでもホテルに戻るには早すぎたので、牧志駅を通過し、
県庁前駅に行き、国際通りを歩きつつ、お土産を物色。



羽田空港に着いた頃には、すっかり日も暮れていて、寒く忙しい師走を目の当たりに。
少しうんざりしながらも、「戻ってきた」と、どことなく安堵感を覚えたのは、やはりこの地で生まれ育ったからなのだろうか。
いずれにしても、帰る場所があって、帰りを待っている人がいるということは、幸せなことに違いはない。
そんなことを思いながら、通勤ラッシュの人ごみの一人となって、家路へ向かったのだった。




+++エピローグ+++
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シーサー







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