バンコク(ドンムアン)空港/メリタス・スイーツ・ステートタワー(新名称:ルブア・アット・ステートタワー)/チャオプラヤ川/暁の寺(ワット・アルン)
涅槃寺(ワット・ポー)/王宮/エメラルド寺院(ワット・プラケオ)/ナイトバザール





































































































写真の詳細



タイと日本の時差は-2時間、3月は暑季にあたり、気温35度前後ということで、バンコク(ドンムアン)空港につく前、機内にて半袖に。
何千フィートとある上空でも初春の日本と比較すると、その暑さたるもの尋常ではない。
バンコク空港に着いた時には、蒸し暑さまで立ち込めていて、到着ゲートから10分ほど税関まで歩かされただけで汗が出るほどだった。
やはり一番に目に付くものが看板である。一文字も読みとることの出来ないタイ語で書かれているだけで面白いものがある。
さて、今回の旅行はツアーということで、最終日まで現地添乗員さんにお世話になることになっていて、
宿泊ホテルまでバスで移動中に紹介を賜わり、次いでタイについての習慣等を話してくださったが、
早くも暑さに早速身体が拒絶反応を起こしたのか、予期不安が襲っていたので、話に耳を傾けられる状況でもなかった。
やっとこさ、宿泊ホテルに到着したのが現地時間1時をまわっていただろうか。
51階の部屋に入ってびっくらこいた、これがスイートルームというものなのかと、発作がぶっ飛ぶ程のゴージャスさ。
とりあえず、部屋がそのままの状態の内に写真を撮っておいた。
予定では翌日(当日)は8時30分の出発ということになっていたので、風呂にも入らずにとっとと寝ることにした。

あれは6時くらいだったろうか、それまでにも何度かエアコンの温度調節のために、何度かベッドから出ていたわけだが、
既に日が昇り始めていたので、目覚ましのなる前に起きて、汗臭かったのでシャワーを浴びた。
カーテンを開けると到着が夜で暗かった為に景色があまり見えなかったが、ホテルのすぐ近くにチャオプラヤ川が流れているようだ。
道という道はどこもかしこも大渋滞。そのためか遠くの方はもやがかかっていて、空気が良いとはいえない。
朝食はホテル内のバイキングということで、レストランに向かったのだが、席につくたびに椅子を引いては押してくれる。
これまでの海外旅行のようにスーパーで買ったパンや果物を貪るようなレベルとはまるで違う。
その調子はずれさから気が動転してしまい、案の定、食事が思うように喉を通ってくれなかったわけで。

バスに乗り込み、最初に向かった先はチャオプラヤ川の船乗り場。
タイではこの全長1200キロのチャオプラヤ川と、全長4020キロのメコン川がある。
それらが幾多にも派生し、水上生活が営まれている。
その船乗りばからチャーターボート上流に向かって走り、暁の寺(ワット・アルン)へ。
所々で寺院らしきものが見えたが、今後このような建物を至るところで見ることになる。
暁の寺(ワット・アルン)は、アユタヤ朝時代にワット・マコークとして創建され、トンブリ(バンコク)王朝の守護寺院となった。
後にタイ全土を掌握したラマ1世により1779年ヴィエンチャンから略奪してきたエメラルド仏ともう一つの仏像が安置されたが、
エメラルド仏は5年後にはイッサラスントーン親王(後のラマ2世)によってエメラルド寺院(ワット・プラケオ)に移動された。
この寺院で最も特徴的な大仏塔は、タイ最大クーメル様式で高さは67m、台座の周囲は234m、塔の表面には陶器の破片が埋め込まれている。
大仏塔の最上部には、神の使者エラワン(ゾウ)にまたがるインドラ神の像が四面に据えられている。
19世紀、ラマ2世のころから建設がはじまり、ラマ3世のとき完成し、現在みられる姿となった。
三島由紀夫著の『暁の寺』の舞台でもあり、また現在の10バーツ硬貨にも描かれている。
タイの歴史を王朝順に記述すると、クメール(アンコール)王朝、スコータイ王朝ランナータイ王朝アユタヤ王朝バンコク(チャクリ)王朝である。

ここから渡し舟にのり調度対岸にあるのが涅槃寺(ワット・ポー)である。
その間にちょっとした市場を通るのだが、そのにおいたるもの凄まじいものがある。
アユタヤ時代からあった寺院を1793年からラマ1世が再建に着手、10年以上の歳月をかけて建立された、 バンコク最大の敷地を持つ寺院である。
礼拝堂には長さ46メートル、高さ15メートルの金箔に覆われた涅槃像が横たわっていて、台座にはラマ1世の遺骨が納められている。
長さ5メートル、幅1.5メートルの足の裏には真珠貝の象嵌細工が施され、中央のチャクラの周りに仏教の宇宙観に基づく108の演技のよい図像が表されている。
境内には大小さまざまな99基の仏塔があり、中でもラマ1世から4世の歴代王にちなむ4基の仏塔がひときわ目立っている。
ラマ3世が仏教や医学、美術などを指導する学問所としてここを整えたが、現在でも敷地内にタイ式マッサージの総本山の学校が残っている。

再びバスに乗って北に向かってほどなくしたところに王宮エメラルド寺院(ワット・プラケオ)がある。
ラマ1世が建立し1782年バンコク遷都の際に築いた王宮で、バンコク王朝を守護する菩提寺であり、タイで最高の地位と格式を与えられている。
境内で黄金色の輝きを放つ、スリランカ式の仏舎利塔がプラ・シーラタナ・チェディ
内部には仏舎利(ブッダの遺骨)が納められているが、一般公開されていないため入場することは出来ない。
金と青ガラスで装飾された柱が並び、屋根には尖塔が配置され、ピラミッド状に層を重ねる経堂がプラ・モンドップ
ラマ1世が著した経典『金の法則』が納められているが、内部公開されていないためにみることはできない。
扉の前には建物を守護するヤック(鬼神)ナーク(蛇神)が配置され、邪神の侵入を防いでいる。
ラマ1世から歴代国王の彫像を安置した十字型の御堂、ロイヤル・パンテオンとも呼ばれるプラサート・プラ・デッビドン
典型的な十字型のタイ寺院建築様式だが、屋根の中央に立っている尖塔はクメール様式
付近にワット・プラケオ最古の仏塔、プラ・スワナ・チャルディ、それを半人半獣像の猿神(ハヌマーン)悪魔が支えているものがある。
見分けがつきにくいが、素足の方が猿神(ハヌマーン)で、靴を履いている方が悪魔
また、ラマ4世が当時たいの属国だったクメールの象徴であるアンコールワットの模型を再現させたものもある。
本堂(ワット・プラケオ)には本尊としてエメラルド仏(ラタナコーシン)が安置され、112体の神鳥(ガルーダ)が守っている。
本尊の金色の衣は暑季・雨季・乾季と、季節の変わり目に国王自らの手によって衣替えされる。
こられを取り囲む回廊にはインドの叙事詩『ラーマーヤナ』のタイ語版『ラーマキエン(ラーマの栄光)』が178の場面にわたって描かれている。
この物語の中には上記のヤックナーク猿神(ハヌマーン)、その他にもキナリなどがいる。
主人公ラーマ王子が、猿神(ハヌマーン)とともにシーダー姫を守り、魔王トッサカンに打ち勝つという物語。
恋愛・嫉妬・勇気・争い・別れなどがテーマとされ、古典舞踊の演目にも登場し、また学校でも習うそうだ。

王宮を見学するには一方通行のため、このワット・プラケオを通ってからになる。
1782年にラマ1世バンコク遷都に伴いこの地に王宮が建設されて以来、歴代国王により数々の宮殿が建てられてきた。
実際に王宮として利用されたのはラマ8世まで。現国王ラマ9世チットラーダ宮殿に居住している。
ワット・プラケオから王宮の敷地ってすぐの場所に、ラマ5世の命により1903年、ボロマビマン宮殿が建てられた。
西洋風の宮殿で国王の御所として利用されていたが、現在は迎賓館となっており、一般公開はされていない。
アマリンドラ・ヴィニチャイ宮殿は1785年にラマ1世により建造。現在は9層の白い傘に覆われた絢爛豪華な玉座が置かれているが、内部の写真撮影は禁止。
王宮の敷地のほぼ中央にそびえる宮殿が、ラマ5世がイギリス人建築家に設計を命じて建設されたチャクリ・マハ・プラサート宮殿
新古典主義様式の建物だが、タイ様式の金色の尖塔が載り、バンコク王朝100年祭を記念して、1882年に完成。
チャクリ・マハプラサート宮殿のそばにあるドゥシット宮殿は、王宮の建物の中で、タイ建築様式を代表する最も荘厳な建物。
尖塔の載る7層からなる屋根は、神々が宿る聖なる山、メール山を表している。
螺鈿細工の玉座や寝台が置かれ、国王た王族の遺体は茶毘に付す前にここに安置される。

王宮エメラルド寺院(ワット・プラケオ)の観光が終わりようやく昼食。
タイは余り風邪が吹くこともなく、湿度も高いこともあって、体力の消耗が激しい。バスの冷房が気持ちいい。
さて、この日の昼食は飲茶。席が空いていなかったためにVIP席へと案内される。悪い気はしない。
基本的な味は中華風で、サッパリとしたものが多かった。ツアー客と共に個室で回転テーブルを廻しながら食べることになったのだが、
恐れていた発作も特におこることもなかった。また、ジャスミンティーは嫌いなのだが、不思議と中華料理とあわせて飲むとおいしく感じた。
ちなみに、タイのビールSINGHAの絵柄は先ほど紹介した『ラーマキエン』で悪魔の乗り物として登場する。
その後の予定は、旅行会社のスポンサーなのかショッピングへと向かわされる。この時間が余りにも無駄なのは言うまでもない。
シルク店宝石店健康食品店をまわったところで、一旦ホテルへと戻り、しばしの休憩。
夜はナイトバザールへと移動し、そこで食事を済ませたあとは、1時間の自由行動でお買い物。
ちなみに夕食は海鮮料理。ここでもまた個室で同じツアー客と共に回転テーブルで食事を。どうやら今後もそうなると予想がついたが、
特に動揺することもなかったのは、ここにきて沖縄の一人旅で培われた自信が顕になってきたのだろうか・・・。
ナイトバザールは、オーストラリアはケアンズのナイトマーケットとよく似ていた。
タイは夜になっても蒸し暑くて仕方がなかった。







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