大理石寺院(ワット・ベンチャマボピット)/バンパイン宮殿/日本人町跡/タイ古典舞踊ショー


















































≫≫≫アユタヤ遺跡の写真≪≪≪



























写真の詳細



タイの首都、バンコクの交通事情には大きな問題がある。
まずは先日も記したが排気ガス排出による大気汚染である。バスにおいてはエコ車も出ているそうだが、バス自体も高ければ乗車賃も高いそうだ。
これは予断になるが、エアコンのついているバスと、ついていないバスとでも乗車賃が違うそうだ。
日本では交通渋滞を避けるためにも、主要都市では車の利用よりも電車の利用の方が快適だが、タイでは未だに電車の普及されていないようだ。
この日はアユタヤ遺跡に観光に行くことになっていて、朝の出発だったわけだが、
通勤時間を過ぎたであろう9時過ぎにして渋滞でバスが身動き取れない状況になってしまうのだ。
高架鉄道(BTSスクンヴィット・ライン)が新しく開通しても交通渋滞が減る様子は見られない。
写真を見ていただけると判るだろうが、赤信号になるとバイクが前の方へ凄まじい量で待機しているのだ。
ちなみにタイの信号機は日本に比べると、赤信号・青信号の点灯時間が長く、赤信号になれば、青に変わるまで大分待たなければならない。
救命胴衣のようなオレンジ色のジャケットを着用しているのはバイタクといって、バイクのタクシーだ。
これは交通渋滞を避けるためには有効な乗り物かもしれないが、1日で免許を取得できてしまうタイでは危険な乗り物といえよう。

さて、この日一番最初に観光に向かった先が大理石寺院(ワット・ベンチャマボピット)
日本名の通り、この寺院ではイタリアから運ばれた白い大理石が使われている。
また、ローマ様式の円柱、窓にはステンドグラス、あるいはタイ寺院には必ず見られる仏塔がないのも特徴的。
本道裏の回廊には、日本やアジア各国から集められた51体のブロンズのブッダ像が並んでいる。
スコータイ時代の遊行仏や肋骨や頬骨が浮き出た修行中のブッダなどが、それぞれの国や時代の仏像の特徴を表している。
たまたま僧が修行中だったので、一緒に本堂に入り蒼いオーラを放つ金の仏像に祈りをささげた。
タイでは手を併せた後に、床に手をつき土下座する形で拝み、それを3回繰り返して祈るそうだ。

再びバスに乗り込み、バンコクとは逆方面の渋滞のない高速道路を利用して一路バンコクより北方面アユタヤへ。
アユタヤはかつてタイがサイアム(シャム)と呼ばれていた頃、
王位継承問題や絶え間ないビルマの侵略を受けていた頃の首都であり、
日本の山田長政がタイに貢献したのもこのアユタヤ王朝時代である。


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バスがアユタヤへ向かえば向かうほど殺伐とした風景が広がる。
高床式住居が多く見られる割には、水路を利用した田園風景を余り見ないのは、やはり発展途上にあるからか。
あるいは見た感じではバンコクと比べると、激しいと貧富の差を感じずにはいられない。
そのすたびれた一角に白の塀で囲まれ、いくつかの一際目立った建物が立ち並ぶのがバンパイン宮殿
アユタヤから南に約20km、チャオプラヤ川の中洲に位置する。
1632年、アユタヤ朝第26代プラサート・トン王の命により建てられた。
以来、歴代王の夏の離宮として使われていたが、1767年の王朝滅亡により廃虚となる。
その後およそ80年間放置されていたが、19世紀になりラマ4世が再建に着手し、再び王族の夏の離宮や迎賓館として使用されている。
現在の建物の多くはラマ5世の時代に建造されたもの。
池に浮かぶプラ・ティナン・アイサワン・ティパヤはタイ建築、
明天殿とよばれるプラ・ティナン・ウィハット・チャムルンは中国式、
天体観測をしたとされる天文台ホ・ウィトゥン・タサナーはポルトガル式、
王の謁見の間として利用されたプラ・ティナン・ワロパト・ピマンはイタリア・ルネサンス風、
チャオプラヤ川の対岸にある教会風の建物、ワット・ニウェートタンマ・プラワットはヨーロッパ・ゴシック様式と、
西洋と東洋の枠を集めた建築の数々が点在している。一部は内部写真撮影禁止となっている。
夏の避暑地として使用されているだけあって、チャオプラヤ川からの水が水門を通り、敷地内を流れる仕組みになっている。
正直な意見としてはチャオプラヤ川は泥水で透明感がなく、綺麗な水とは決して言えない。

バスに戻ると初日からお世話して頂いているガイドさんが小走りでバラックの方へ向かい、
ビニール袋を引っさげて戻ってくるなり、「おやつです」と、現地の食べ物を好意で配ってくれた。
一つは芋、一つはバナナを揚げたものらしい。ココナッツのような風味がして甘い不思議な味のするものだった。
これに似たものを、その夜の夕食に再び食べることになるのだが、こっちの方が断然うまかった。
後々、判ったことだが流石は日本人を対称とするガイドさん、現地の食べ物の日本人の口に合う店を知っているのだ。
さてさて、待ちに待ったアユタヤ遺跡に向かう前に昼食を食べに向かう。
次第にバスの車窓から遺跡らしきものが目に付くようになる。相変わらず金ぴかの寺院もあるわけだが。
途中、日本人町跡をバスの中から見物。現在は特に何も残っていないらしい。
ここはかつて朱印貿易のための街として栄え、最盛期には1500人もの日本人がここに住んでいたという。
この地でかつて町長をしていた山田長政は、貿易以外にもアユタヤ政府との親密度も高かったわけだが、
逆にそれが仇となり王位継承問題でも功績を残していた彼は、毒殺をされ生涯を遂げることになる。
その後、徳川幕府の鎖国により日本人町は次第に廃れてしまう。
山田長政については謎が多く残っているらしい。
ちなみに、遠藤周作・大佛次郎・佐藤春夫・山岡荘八などが彼をモデルに小説を書いている。
確かに日本人町の近くにある店とはいえ、昼食する店名がYAMADAYAとは安直すぎる。
その周辺には日本の大手メーカやコンビニの他、TSUTAYAまであるのには流石に驚いたが。
それにしてもSEIKOの時計一つとってみても、どうしてこうもタイ語で書かれると胡散臭く見えるのだろうか。



≫≫≫アユタヤ遺跡の写真≪≪≪



アユタヤ遺跡では象乗り体験をすることができる。
象に乗って遺跡を散策をするのが観光の一つの足として利用されているそうだ。
象はタイでは神の存在で至るところで象の像、そしてまたそれを拝んでいる人を見かける。
現在はトラックなどの普及により、象の需要が余りなくなっているそうだ。
足に重い鎖でつながれている姿は、どことなく淋しげな豹ように見えて仕方がない。
象と写真を撮る際には、象使いの掛け声でもって鼻を高く上げてくれる。
その後にチップを与えると器用に鼻でそれを受け取り、その紙幣を決まった籠に入れた後に感謝の意をこめて鳴いてくれる。
この鳴き声がまた泣き声に聞こえて仕方がない。
ガイドさんが自ら購入したバナナを手渡してくれ、それを象にエサとして与えた。
象は自ら口をあけて寄ってくるので、口の中にそっとバナナを入れてあげればいい。あるいは鼻に渡せば、その鼻で自ら口へと運ぶ。
バスに乗り込もうとしたときに、一匹の像が物悲しそうな目でついてきた、あの目がどうしても忘れられない。

アユタヤ遺跡を離れようとした時、ガイドさんが運転手さんに車を止めるよう声をかけ、
突然一人バスから降りてどこかへ走っていったかと思うと、再びビニール袋を片手に戻ってきた。
薄いナンのようなものに、するめのようなものを挟んで食べる、イスラム系統の食べ物らしい。
このスルメらしきもの、日本でいえば綿菓子みたいなもので、口に入れると甘く解け 、生地との相性もよくかなりの絶品。
ところで、タイの信号機には数字が表記されていて、残りの点灯時間を知らせてくれるものがある。
日本にもたまに横断歩道の信号機についているものを見かけるが、これはかなり便利だ。
急いでいる時などに歩道橋を渡るか渡らないかを、大きく左右するものがありわけで。
さて、バスはバンコクへ戻り夕食までの束の間ホテルでしばしの休憩、少し仮眠をとることに。

この日の夕食はタイ古典舞踊ショーを見ながらの、タイ料理だった。
夕方になってホテルを出たが相変わらずバンコクは渋滞・・・、バスが身動き取れない状態に。
4,5斜線ある道という道をゲーム感覚で車線変更を繰り返すものだから恐ろしいの何の・・・。
というのも、ショーの時間に間に合わないのではないかと、運転手が相当焦っていたらしい。
「急がば回れ」なんて諺があるが、こんな時に限ってデモが行われていて通行規制・・・。
それでも、ちゃんと間に合うところがすごい、仕事に対するプロ意識を感じた。
同ビル内にオカマちゃんショー会場もあってかなり盛り上がっていたのでかなり気になったが、それよりも、異様なにおいが・・・。
まさかにそれがタイ料理のにおいだとは・・・。
辛い食べ物に妙に甘い食べ物、においほど不味くはなかったが、流石に口が裂けてもうまいとは言えない。
隣に座っていた別の日本観光客のギャルの香水のにおいも凄まじいものを感じたがそれは言うまい。
そんな中、タイ古典舞踊ショーの幕が上がる。
いくつかのショーにわかれていて、幕が下りて上がるたびに解説らしきものが入るのだがタイ語で言われても・・・。
故にその踊りが何を意味しているのか、何を表現したいのかが、判らないものも一部あり。
いや、例え解説が判ったとしても、芸術・美術等に全く精通していない者が全てを理解しようとすることに無理がある。
仮に日本舞踊をみに行ったとして、どれだけ理解できるかを想像しただけで納得がいく。
それにしても海外で関西弁を聞くと、どうしてあそこまで凹んでしまうのだろうか。
「あの人イケメンちゃう?」「オカマちゃんやろ?」「なんでやねん」

・・・。








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